竜巻き、のち入院、そして大落雷
当時を思い起すと、躁病相に傾きはじめた頃は病識がありました。薬もそれなりに変更して、服薬をしていました。その後どんどん気分が上がってしまい、抗精神病薬も睡眠薬も増量しました。しかしその後、病識を部分的に失って、途中から断薬してしまいました。家族の協力で、また渋々服薬を再開するも沈静せず、症状は増悪の一路を辿ります。そしてろくに薬を飲まなくなり、食欲も体重も減退の一途。そのくせ、ほとんど寝なくても平気になり、活動量は極度に増えました。その後まもなく、まったく病識を失ってしまいました。
そして不本意の入院。退院する頃には「躁病の症状がきれいに出揃いましたね」と、主治医から穏やかにコメントをもらい絶句しました(ため息)・・・。後日文献に目を通して、何とも言えない思いがこみ上げて来たのを覚えています。確かに症状に強弱はあったものの、躁病状態を表わす項目を、ほぼ網羅していたのでした。あまり信じたくない通達書を淡々と渡されてしまったような、奇妙な気分になった記憶があります。この時はさすがにちょっと打ちのめされました。
入院前と入院中の数々の躁病エピソードは、もうすご過ぎて!!!ものです。ここでは全て省略しておきましょう。つまり誰の目から見てもはっきりと入院が必要な症状が出ていたのです。それに反比例するように、自分は家族や近親者の指摘をよそに、自分では正常感を持って堂々とさえしていました。なかには覚えていない、後日人から伝え知ったエピソードもあります。ああ。覚えていないとんでもないことまでしているなんて、これが一番自分には恐ろしいことでした。またフラット(平常)では、どう考えても根拠が見出せない突拍子もない言動や発想の数々も・・・。
そんなこともあり、今はもしもの時のために「入院セット」一式を用意しています。どうしても病識を失う可能性を考えてしまうからなのです。
自分の脳のある種の欠落を自覚して、自分を全面的に信じられなくなったリアルな体験でした。躁病相後、ひどい鬱病相に転落したこともあり、激しい自責、極度の不安感、無気力感、自己不信感などは耐え難いものでした。
ただ矛盾するようですが、自分の体調が落ち着きを取り戻す頃には、病気の自分を受け入れることが徐々に出来はじめました。それは半年以上恐らく1年ほども過ぎてからだったと思います。そして地に堕ちた自分への信頼感も、少しずつですが回復していったのです。つまり病気との向き合い方をもう一度自分なりに模索し始めたのです。人間とは摩訶不思議な生き物です。
よく言われる激躁的な体験を通じて、新たな意味で知らざるを得なかった、認めざるを得なかった自分がいます。時と場合により御せない自分がある、それを含めた全体像が自分自身なのだ、というのがこの病気なのではないでしょうか。そのことを事実の前に受け入れる他なかったのです。双極性障害と向き合う過程の中で、常に自分の症状を理解しようとすることの大切さをつくづく思い知ったのです。またその姿勢を強弱があったとしても何とか持ち続けることの重要性も実感しました。
保護室にもお世話になった強烈な入院経験を経て、双極性障害が自分と切り離せるであろう一種の「病気」つまり「別物」に過ぎないという淡い期待や、僅かながらの願望から「躁鬱なわたし、これが取り合えず自分自身といいうことなのね」という感覚で捉えるようになってきたとようです。何度もひどい波風の瀬戸際に立ったことがあるくせに、ああ何て長い道のりだったことか。
次は、「どんな鏡に自分を映していますか」です。