どんな鏡に自分を映していますか?
躁病相での大小の失敗や、鬱病相での堂々巡りのマイナス思考など、ついつい自分の中にひとりで抱え込みがちです。でも「悩んでもしょうがないことは悩まない」と、スパッと割り切ることも病状安定のために肝心です。
確かに割り切りはむずかしい面もあります。「そんなことできれば苦労しないよ!」という声が湧きあがりそうですが・・・。でもくよくよと悩むこと自体、そして自分を苦しめる感情でさえ、ほとんど病気が引き起こした症状の一部。自分の性格や意志による自発的なものではない面が大きい訳です。だから自分なんか最低だよという一種の囚われに、がんじがらめになったりするのは、時として行き過ぎだと思うのです。そしてその結果として、自分を追い詰めたりすれば、辛いのはやっぱり自分自身ですし堂々巡りから抜け出せなくなっていきます。
とにかく症状を悩みとして捉えても苦しみは増すばかりで、それは解決につながらないとわたしは思っています。ただ悶々としていても、精神衛生上良くないのは、これまで痛いほど感じていますから。症状は症状として冷静に捉えることの方が苦しみを軽減してくれるし、今後の自分と病気とのつき合いを良好にしてくれると感じています。
経験上、軽躁状態での自分の行動の異変の中には、苦い後悔とは裏腹に友人や仕事上でのつき合いのある人の目には、さほど変に映っていないことがありました。対人関係でちょっとテンションがあがり、ノリがよく成りすぎる。少しお酒に酔って饒舌な感じになっている時と似ているのかも知れません。多少怒りっぽくなったり議論好きになったり。その程度なら一般的には許容範囲の場合があります。つまり他人には自分が思っていたほど、そんなに気にしていなかったと拍子抜けしたこともありました。もちろん躁病相を症状として自覚するのは大切ですが、必要以上に落ち込んだり、そのことで人間関係を狭めることはないと思います。その判断はフラット(平常時)に戻ってから。相手と個々にコミュニケーションを取りながら様子を見たり関係性を取り戻したりできるといいですね。
意外と自意識過剰だったと逆に胸を撫で下ろす時もあります。ひどい失敗も多々あるわたしはこの面では臆病でした。ただ当事者自身は軽躁病相の自分を振り返る時、繊細にそして過剰に反応してしまうサガがあるのだな、とつくづくこの病気を難儀に思う時があります。個人差もあると思いますけれど。
また双極性障害のように長い期間がかかる病気では、気をつけていても起こってしまった逸脱行為やそのスレスレな言動などの失敗は、反省を今後に生かせば良い、というくらいでないとやっていけません。割り切りあるいは開き直りの気持ちを持って、進んでいってもいいのではないかと、個人的には思っています。
誰しも過去を変えることはできない訳です。ただ過去への捉え方を見直すことはできます。もしかしたら歪んだ鏡や割れた鏡で、自分や自分を取り巻く世界を見ているかも知れません。それならその鏡は潔く捨ててしまいましょう。過去を断ち切るにしても、現在につなげていくにしても、できるだけ前向きにできるといいですね。無理せず徐々に切り替えていけばいいと思います。自分なりのスピードがあると思うので。前向きが無理でも、後ろ向きはなるべく避ける。エネルギーの無駄使い、消耗は体調にも堪えますので。
それでも解決不能な、どうしようもない傷(トラウマ)は、パンドラの箱にでも入れ半永久的に封印することもひとつの手です。もちろん、いつかなにかの時に、開けてみるのは本人の自由ですが、体調の良い時にそーっと少しずつ様子を見ながら開けないと、自爆してしまいますのでご注意を。
次は「いつだってどんな自分だってOK」です。