いつだってどんな自分だってOK
思いっきり落ち込んだつまり鬱病相の時に、どん底でじっーと耐えてみる、それはそれで、悪くないと思います。いえ大正解の場合も多いですよね。外部との接触は最低限にして。引きこもって布団虫になって、生活能力もどん底。ようやく息をしているような「下がり止まり」で耐えていれば、後は自然にまかせて、ゆっくりとですが復活できると思います。そういうやり方の向き不向きは、個性や性格や環境などにも寄ります。そんな時、こんなふうな自分に罪悪感を持たない思い切りも大切だと思うのです。もちろん大きく体調が変化する時は、主治医との相談やお薬の調整は大前提としてですが。まずは現状の自分を受け入れることで、ひとつ荷下ろしをしてはどうでしょう。長引く鬱がいばらの道でも、座布団のひとつでも敷いてみようと言うことです。
鬱病相での症状としての自責感は、岩のように固いです。これもひとつの症状ですが、無気力などうしようもない自分を、何度も状況を打破したいと焦りジタバタして、結果的に自分を痛めつけてきました。でも重い鬱病相を何度か繰り返すうちに、「また来たな」と思えるようになり、自責感にブレーキを少しずつかけられるようになりました。そうじゃないと辛過ぎますからね。今でも負の回路にハマることがあるけど、「症状出てきたぞ」と自覚できるようになりました。諦めてしまう、という受け入れをすると思いのほか体の硬直感がとれてラクになれるものです。
鬱な時、自分にとっての当たり前の生活ができなくなります。でも「できないものはできない」。これは事実です。そういう場合でも、とにかく自分を否定しないこと、「今はこれでいいんだ」という受け入れはすごく大切です。そんな自分を堕落しているなんて思う必要は全くなし。あるいは、しばしの堕落も蜜の味などと発想の転換をしてみてはどうでしょうか。つまるところ、いつの自分だって「それなりに良し」なんだと、わたし自身は暗示も含めて思っているところがあります。「焦らずに、焦らずに」を呪文のように唱えながら。
そして本当はとても辛いのに誰にも「よしよし」さえしてもらいたくない、人を受け入れられないひどい鬱に陥ることがあります。そんな時でも自分で自分を「なでなで」してあげたい。ウルトラ最低にダメな自分だって、双極性障害にまつわる、いろんなことに耐えてきた愛おしい自分です。だから自暴自棄になることはなるべく避けましょう。最悪の中にも何かしらいいことを見つけるというのはひとつの訓練だと思います。あくまでも個人的な意見ですけれども。
鬱病相の症状なのに、何故自分のせいにしないといけないのか? 外科的な疾患の場合だったら、怪我して痛ければ、痛いだけ。自分のせいで痛い、苦しいという心理的な問題や性格云々で症状自体を自責するでしょうか。内科の疾患にも言えること。それはこの病気でも本当は同じことだと考えられます。双極性障害は、暴飲暴食などに寄る生活習慣病になってヤバイと反省や改善を意識するのとはちょっと訳が違うと思います。例えば鬱の症状自体が自分の心理的なせいだとか、性格が問題とか、さぼっているとか、そういう責め方は恐らく見当違いなのです。
一方ひどい躁病相の症状は、自分の心理面であまり疑いを持つことがないと言うか把握がむずかしいですよね。症状としては内外的に困ったことではありますが、鬱病相のような心理的な苦しみや人間性の否定などを伴わないでしょう。ですから病気の自覚的な痛みや苦しさは鬱病相特有のものでしょう。自分を根拠なく責め始めたたら、それは魔の声だと思って。躁鬱の症状であり自分のせいではない、という基本にできるだけ立ち帰りましょう。だってこの病気はこころの病気というよりは脳の病気なのですから・・・