わたしの間抜けな始まり
病気への理解ですが、双極性障害(いわゆる躁うつ病)は、発症の仕方によっては比較的早期に診断名がつく場合もありますが、診断名がはっきりするまで大変時間がかかる症例もあります。
例えばうつ病相発症の場合、明らかな躁病相が出るまで不確定な場合があります。うつ病発症でさらに双極性II型障害の場合などは、軽躁の症状を本人が自覚するのがなかなか困難な場合もあります。そうすると主治医が、患者が軽躁を伴うことを認知するまで、必然的にかなり時間がかかるケースが出て来ます。もちろん症状の現れ方によっては、病名がはっきりするのが遅れるのが不可抗力の場合もありますが。でも単に本人の病気への理解の不足により、病気への対応が後手に回るケースもあると思います。
例えばわたしの場合です。ひどい鬱状態での初診でしたが、鬱を引き起こすような躁状態が、その直前にありました。家族はわたしの普段とは違う数々の言動から躁うつ病ではないかと感じ、鬱になる前の躁状態の話を初診時に主治医に分かっていた限り話したそうです。そういう経緯もあり最初からわたしには躁うつ病の診断が出ていました。でも本人は鬱の苦しさでいっぱいで、主治医に病名を告げられたかも記憶にないし、薬もただ処方されたものを内容も知らず機械的に飲んで床に伏せていました。
そういう経緯ですので、発症時には自分自身は初診時には、双極性障害だという実感が持てなかったと記憶しています。苦しい鬱状態での初診だったせいもあるでしょう。鬱になる前の1ヵ月以上に渡る躁病の症状に関しては、仕事や交友関係などでかなり大げさな言動をしてしまったので、強く後悔はしました。でも自分らしくない行動が病気によるものという意識は当事はまったくありませんでした。鬱については世間並みに知っていて、その自覚は否応なく持ちました。それだってあまり認めたくない気分でしたが。主治医には自責の念が強いし辛いし最悪の体調と訴えるものの、躁という症状に関しては本当に無知でした。考えもおよばなかった感じでした。ちょっと頭が冴えて気が大きくなり、素晴らしい閃きから行き過ぎた失態をしたという受けとめ方だったように思います。だから初診時にそれらの出来事を主治医に話した覚えもありません。周囲の人から見ると相当わたしらしくない奇異な言動があったにも関らずです。
はやく元気になりたい、いつもの自分に戻りたいとしか思えませんでした。そしてようやく鬱から抜け出し、日常生活に徐々に適応していく過程で、躁病相の「自分のこととは思えない言動」のことは忘れてしまいたいことだらけ。もちろん症状という意識はありませんでした。何とかその記憶を遥か彼方に追いやろうとしていました。そのうちに、何故あんなことをしたのだろうと、時々ぼんやりと不可思議な気持ちで思い出す程度になりました。鬱病相は仕事などのストレスで疲労したからだと納得させることができても、躁病相の自分は不可解過ぎてどうにも説明がつかないからです。自覚的には気分の高揚感、多幸感などもあり病気というマイナスなイメージではありませんでした。今となるとそこが双極性障害たる所以でもあるのですが、残念なことに躁病の症状への知識もありませんでした。
ですから躁病相の大げさな言動を自分の中で打ち消すことで、自分のそれまでの枠組み(発病前)を何とか維持しようと、必死で自己防衛をしていたのではないかと思います。
そんな訳で結果的に見ると、主治医も家族も病気を認知しているのに、本人の自覚がいちばん遅れたのでした。初診時の処方も、相当後になって、冷静な時に「本当に初診から躁うつ病だったのか?」と、カルテを一応確認してもらいました。紛れもなく気分安定薬が処方されていました。やっぱり・・・。覚えていないのですが、家族は当初わたしに躁うつ病だと説明をしてくれたそうです。でもようやく鬱が回復してきた脳には何も入って来ませんでした。いえ拒否反応があったのかも知れません。今になってみると穴があったら思いっきり飛び込みたい気分です。自分自身の双極性障害に対する無知と無自覚さが、その後の大きな躁鬱のカウンターパンチを無防備にくらう要因となりました。その時こそがわたしがようやく双極性障害の扉を自ら開いた時なのだと思います。
次は、「混乱期を超えて」です。