2008年12月アーカイブ
「病識」とは平たく言うと「自分の病気・病名を知り受け入れること」だと思います。特に単に病名を知るだけでなく、受け入れることが重要なポイントになります。
双極性障害かどうかの判断は、基本的に精神科医に委ねるべきものです。当事者の病状と問診及び経緯の把握などによる総合的な判断になります。双極性障害の疑いを持ったら、まずは精神科の専門医に受診してみることです。
本人に自覚がなくても近親者の客観的な目で疑いがある場合は、本人に抵抗があったとしても、やはりなんとか説得して診察を受ける段取りをすることをお勧めします。検査のつもりで精神科の扉をノックしてみましょう。本人が病気かどうか、病気なら何の病気なのかを知ることが第一です。本人が病気でないなら、そのこともはっきりするからです。
ネットや書籍からの情報や、人から聞いた情報は良し悪しがあり参考にはできても、あくまでも一般論です。病状の現れ方はその時どきで個人差が大きいものです。自己判断は避けて、専門医の診断を仰ぎましょう。まだ精神科を受診されていない方は、まず精神科・精神神経科を受診してみましょう。最近では心療内科の看板をかかげていても、精神科医のいるケースもかなり多いようです。まだまだ単科の精神科の敷居が高く、心療内科の看板を出しているなら受診する人も多い、という配慮もあるからかも知れません。しかし精神科医でも心療内科を標榜している施設は、比較的軽症の精神疾患しか扱わないかもしれません。双極性障害の診断や治療を行う心療内科(≒精神科)クリニックもあると思いますが、一応電話などで「双極性障害の診断と治療をしているか」を問い合わせしてから、受診する方が無駄足にならないと思います。とにかく双極性障害を専門的に診ることのできる精神科医のいる、病院やクリニックへの受診をお勧めします。
次は、「病名は主治医に真正面から訊ねてみるのがいちばん」です。
はじめに病名を知って症状を把握し、次に病名を受け入れ病気と向き合う心構えが必要だと思います。そうでないと当事者として必要な知識を積み重ねていくこともできません。病気に関して具体的な対応策が立てられなくなります。そういう訳で「病識」を持つことが、双極性障害と向き合うことには欠かせません。これはどのような病気でも大あれ小あれあるでしょう。あなたがすでに精神科(あるいは精神神経科や心療内科)に通っていたとして、あなたは主治医に病名を告げられていますか?あるいはきちんと訊ねたことがありますか?まだの方は、思い切って聞いてみましょう。病名を告げられたら、その診断理由を聞いてみることも大切です。もし答えが得られない場合は、その理由を教えてもらいましょう。患者として当然のことなので、遠慮することではありませんから。
次は、「無自覚な当事者が落ち入るマズイ罠」です。
自分の病名を認識すること、そして主治医と病気の認識を共有することが、治療への大切な第一歩です。双極性障害の場合、病名を知らないとかなり困ったことになります。自分の感情や言動などに現れる典型的な躁の症状である行き過ぎた不可解な言動、あるいは鬱の症状である自己否定的な感情や行動抑制などが、なぜ引き起こされるか訳が分からないまま、戸惑ったり振り回されることになり兼ねません。
例えば双極性障害の躁の症状であるにも関わらず、「気分が爽快で調子が良い」とか、鬱の症状なのに「自分はダメな人間だ」と単なる普通の感情の浮き沈みのレベルと錯覚する可能性が充分あります。これが病識を持たないでいると陥るとても危険な罠でしょう。病気に対して無自覚だったり、否定的な態度でいるのが「病識」を持てていない当事者の特徴です。その場合は、往々にして無治療になったり治療が後手に回ったりして、症状を悪化させてしまいます。
次は、「病気をありのままに医学的に理解しよう」です。
双極性障害の診断がついた場合は、症状が本来のあなたの気質や性格や生育歴やストレスなど、内部と外部からの要因がきっかけになることがあるとしても、躁鬱の波があるのは基本的に双極性障害による症状だと言うことを、しっかりと自分自身に刻みつけておきましょう。特に躁病の症状はふつうの鬱病(すなわち単極性うつ病)では現れない双極性障害特有の症状です。
当事者の意志などに関わらず、症状の増悪は起こり得ますから、適切な薬物療法と生活面などで医療側と当事者ができることの両面から対処していくことになると思います。原則的には内因性の病気(簡単に言うと脳の中の物質や神経細胞ネットワークの異変で起こる病気)であることを自覚した上で、病気を知ることはとても大切です。双極性障害は素因や遺伝性がある程度関係していると言われているので、親族に同病者がいる場合は、その点も診断・予後の判断材料のひとつになるので視野に入れる必要があるでしょう。病名を知らない、つまり病識を持たないと、生活面での自己コントロールの上でも圧倒的に不利になります。主治医とタッグを組む薬物療法・精神療法も、日常生活での症状の自己申請が大切な鍵となります。大げさでなく「病識」を持たないと、治療自体が成り立たなくなってしまうと言っても過言ではないと思います。
次は、「ホップ・ステップ・ジャンプで双極性障害を受け入れる」です。
それから当然なことなのですが、「病名を知る」ことと「病気を認める」そして「受け入れる」ことは異なります。最初は病気を受け入れられずに、拒否反応を持つこともあると思います。比較的すぐに受け入られる人もいれば、何度か躁と鬱の波を繰り返し体験し、受け入れる人もいます。辛い目や痛い目に遭うことで、徐々にあるいは諦めの境地で、ようやく病気を認められる人もいます。またどんなに苦しんでも、なかなか病気を受け入れることができない人もいます。
この病気の危険なのは、特に初期などは無治療やごく短期の治療でも、躁病相や鬱病相が比較的早く終わり、正常気分になる症例もあることです。その為に、本人や近親者や周囲の人間も病識を持つに至らなかったり、自然治癒したと思い込んで安心してしまいがちなところです。時には主治医さえも治療を中止する診断を出すこともあります。しかしその正常気分は束の間の休息で(数年に及ぶ事もありますが)ほぼ確実に再発すると言えると思います。この点は是非こころに留めて欲しいことです。
次は、「細やかな自己観察が早期の病名確定につながります」です。
発病の頃をいま振り返ってみて、まだ「病識」が持てないでいる人に言えることがあるとするなら、抵抗せずに淡々と受け入れた方が断然良かったということに尽きます。そうすることが、躁鬱の波の振幅を穏やかにする早道になるというのが実感です。病気を否定したり抵抗したりしても、治療面で良いことはひとつもありません。受け入れた上で焦らずに病気と向かい合っていくことがこの病気のスタートラインではないでしょうか。病識を得た後でも、ひどい躁や鬱の病相の時に不可抗力で「病識を失う」という状況が生まれる場合もあります。その点に関してはまた別の機会に触れたいと思います。
病名を知ることは大切なのですが、初診で病名が決まるとは必ずしも限りません。躁病相が医師の目にも強く現れていれば診断は比較的容易ですが、フラット(平常)、鬱病相での初診ではしばしば困難です。そのような場合の初診でも、躁病相のエピソードを当事者や家族がきちんと話せれば、診断がしやすいのです。ですから、これまでの症状は気づく限り箇条書きなどでメモにして、初診時に医師に読んでもらうのも良いと思います。症状の説明は当事者の症状や状態を把握している同居の家族などに、付き添って説明してもらうのもひとつの有効な方法です。当事者の自己申告や家族からの申告がないと、医師が「双極性障害」の診断を初診でつけることは、むずかしい場合があると考えてください。躁病相が認められないなどで、双極性障害とは診断ができないけど疑いが残る場合、精神症状の経過観察が必要になります。経過観察中、躁病相に当てはまるエピソードがないか、自分の状態や症状を主治医に的確に説明する努力をしてみましょう。躁病相の症状に関しては詳しくは国際基準のDSM−IVなどをご参照ください。
次は、「甘くはない病名確定、時には難産も覚悟して」です。
症状が類似する周辺の病気もありますので、そういった意味でも病名が一度で確定するとは限りません。周辺の似た症状のある病気とは、症状の変化により病名が変化する場合もあり得ます。その場合、双極性障害と似たような治療も多いので、柔軟に捉えて対応していくことになります。病名が多少曖昧でも、主治医の判断を受け入れてみましょう。病名が明確にできない状況でも、通院と経過観察、対症的な薬物療法を開始できれば、その後の診断・治療の道につながるので、まずは良いのではないでしょうか。経過によっては詳しい病名に当事者が固執すること自体が、診断面から見ても無理がある場合があります。そう言った場合では、初期の段階で病名に神経質になることはないと私は考えています。「病識」を持つ第一歩に変わりはないのですから。
観察中に双極性障害と確定できなくても、その可能性はあるとなった場合、診断的治療として、気分安定薬の少量から始めて様子を見る可能性があります。初診時に、単極性のうつ病と診断されるのは、しばしばありますし、診断確定までに10年かかる事も稀ではありません。
http://www.mental-clinic.ne.jp/blog/archives/2008/08/_3_10.html
しかしながら、この10年という期間は本当に必要だった症例と、もっと早く診断確定できた症例があるように思われます。本人が躁病エピソードの定義や存在をもし知っていたならば、そして軽躁などの比較的見落とされやすいエピソードを自覚できたなら、もっと早く診断変更ができて、単極性のうつ病の治療から双極性障害の治療へと方向転換できたのではないかと思わずにはいられません。単極性のうつ病から双極性性障害(特にII型障害)へと長い経過をかけて診断名が変わる症例があるからです。気分障害という枠組みで括られていても、両者は治療の基本、薬物の処方があまりに異なりますので、できるだけ早期に両者の区別が確定できることが望ましいと思います。
次は、「病識と治療を持続させるための医療・当事者のライン」です。
次にどんな主治医と付き合うかという点を考えてみましょう。もちろん医師として優秀であること、つまり適切な診断と処方、心理教育が施せること、入院の必要性や時期判断の的確さなどが一番だと思います。長いおつき合いになる可能性も高いので相性も大切でしょう。
心理教育(ヤダリンの精神科Q&Aより)
http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/a99.htm
それから後は、当事者の要望に個人差の多いところです。診療時間をどれだけ取って欲しいか、緊急の場合の対処の体制(電話診療や薬の郵送)はあるか、などなど。自宅か働き先からの距離、待ち時間(予約制かどうか)、総合病院か個人病院か、精神療法・カウンセリングの有無、などです。総合病院などは、主治医の転勤の可能性もありますので、その点も考慮にいれましょう。上記のような点を配慮にいれて、自分なりの条件をもとに、いくつかの病院をあたってみること自体は、長期の通院を考えると悪くありません。少し体力や気力がいる作業になると思いますので、あまり状態の悪い時には避けた方がいいかも知れません。もし通院中の主治医の見立てや治療方針に、大きく不安を感じる場合は、セカンドオピニオンを取るなどの方法も視野にいれてみても良いと思います。長期の経過観察が必要な双極性障害の場合、医者との相性も大切だと思いますが、主治医選びは、ただ無意味にDr.ショッピングと言われるような転院を重ねることは、治療や経過観察の面でもマイナスで、徒労に終わることにもつながりお勧めできません。信頼できそうな主治医に自分の躁鬱の波を、長い目で経過を追って理解してもらうことで、自分自身の心にもゆとりができると思います。そして主治医との信頼関係も深いものになっていくと思います
繰り返しになりますが。病名を知り病気を認めることは、早ければ早いほどいいです。どんな理由であれ、現実的には「病識」を持たないでいると、適切な薬物での治療を受けることが出来ません。残念ながら後悔先に立たずといった、とても酷い躁病エピソードを増やしてしまう結果を招きがちとなります。また苦しく辛い鬱病エピソードを長期化させてしまう確率を高めてしまうでしょう。どちらにしても生活に支障が生まれがちです。「病識」をもつことは他ならぬ自分のためなのです。躁鬱の大きな波をできるだけやわらげるには、きちんと医療のラインに乗ることが不可欠です。病気に向き合うことが日々の生活をできるだけ良好な状態に保つためにも大切です。個人的、社会的な損害を抑えこむことは、「無治療」や「病識を持たない治療」では不可能でしょう。
次は、「躁病をリアルな幸せと思い込んでしまった発病時の錯覚」です。
わたしの場合は、一部でも触れましたが、数回の軽躁高めエピソードを重ねるまで、自分を漠然と一過性の鬱病として捉えた面がありました。外因と呼べるようなストレスがあった為でもあります。いま考えると、あまりに病気に対して無自覚で愚かな日々、消耗した時間をさまよったと自分自身で思っています。軽躁病(といっても高め)発症だったからかも知れません。その頃は躁鬱病(双極性障害)の病名自体は知識としては知っていましたが、躁病の症状そのものは全く知りませんでした。鬱病の症状は世間的にもかなり知られていたので、ある程度は知っていましたが。知らないもの(躁病)と自分を結びつけることはほとんど不可能なので、その頃のわたしは病識を持つなど考えも及ばなかったのでした。ただ単純に壮快でウキウキしてやる気満々でした(恥)。でも、そのうちエネルギーを使い果たしてどんどん失速し、転げ落ちるように鬱入りして日常生活が立ち行かなくなりました。自分でも「鬱病(躁鬱病でなく)なのだ」と感じて、辛さのあまりに心療内科の初診を受けました。実は家族から医師への申告もあり、治療自体は躁鬱病でスタートでしたが、飲んでいる薬の種類とかにも関心を持つ気力さえなく、鬱の闇の中でもがいていました。だから当初、自分には双極性障害の自覚つまり「病識」はなかったのです。いま考えると大きなため息がでます。その頃の自分に悪態をつきたいほどです。
発病は上述のように軽躁高めな症状したが、振り返るとそれ以前も中小の破綻がありました。家族が気づいているぐらいですから、それなりの破綻であったでしょう。ですが自覚的には病気ではなく絶好調(たぶん大きな破綻がなかったので)でした。おまけに軽度ですが、万能感や多幸感を伴っていました。それが病気の症状なんだという感覚は、経験不足だったせいもあり、全く持てませんでした。実はそれこそが躁病の特徴のひとつでもあるのにも関わらず、「病識」がないどころか「体調がいい」と思っていたという、お間抜けとしか言いようのない状態でした。その後の鬱病がとても重かったので、本人は単純に「鬱病になった」と思い込んでいたのですが、実はその前に躁病があった訳です。軽躁とセットで訪れる鬱の辛い日々をずいぶんと過ごしました。「躁病から鬱病へ移行」という、典型的なパターンのひとつでした。
次は、「躁鬱の波にぶち当たり辿りついた病識への長い道のり」です。
情けない当事者だったわたしも、パターンが見え出してからは、躁病を意識的に注意するようになりました。その間に戸惑いも混乱もありました。しばらくは「病識」をきちんと持てなかったために、回避できたかもしれない失敗を、とにかくメチャクチャしたように思います。病識が足りなかったために、自己観察が甘くなり、受診時に主治医への症状の申告が沢山抜け落ちてしまったこともあります。結果、躁病の症状と薬物処方のギャップ(薬が症状に対して少な過ぎる)を生んで、症状を悪化させたこともあります。はっきりは覚えていませんけれど、何度か躁のさまざまな症状を経験して、わたしはようやく「病識」を自覚的に持てるようになったのだと思います。双極性障害を「受け入れる」と言う意味合いにおいてです。なんと奥手だったのでしょう。初期に病識を持つのが遅れた大きな敗因は、鬱が治まると病気のことを考えるのを何となく避けてしまい、双極性障害の薬物療法の基本や躁鬱の基準となるエピソードなどの知識を真正面からひも解かなかったことです。
病名を知ったら、次は自分から病気を知りましょう。治療に関して最初のうち双極性障害は対症療法です。気分安定薬が出て維持量に達すると本格的治療になります。主治医が病気の概念を、親切に時間をかけて説明してくれることを期待しても無理があります。当事者本人の自発性がとても大切です。いまは当事者向けの専門書もいろいろ出ていますし、インターネット上で調べることも可能です。さあ、あなたはもう双極性障害の「病識」を得ていますか?それともこれからですか?
ヤダリンの精神科Q&A
http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/index.htm
最大の課題それは病識の獲得できること
http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/hitorigoto-62.htm
精神科の病気の治療上、最も大切なことは何ですか。
http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/a4.htm
精神分裂病の患者さんの場合、服薬中断による再発が多いということですが、服薬を中断する理由としてどういうことが考えられますか。
http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/a43.htm
(ミミ注:病名は現在は統合失調症です。内容的には双極性障害にも当てはまり、大変参考になると思います)
二宮英の「病識」の定義『病識』とは? (抜粋)
『病識』insight,self-understandingは、患者自身が病気であるということを自覚することです。自覚することで治療を積極的に受けることができます。病識が乏しいと治療に妨げになることがあります。(二宮英:薬物療法と薬剤師、p26日本薬剤師会,日本病院薬剤師会(1984)より)
障害基礎年金は、すべての国民が加入(すなわち保険料の納付)を義務付けられている国民年金の制度に基づいて受給することができる障害年金です。法律上の区分から以下に述べる4つに分類することができます。
原則的な障害基礎年金
法律(国民年金法・第30条)で定められる最も原則的とされる障害基礎年金においては、(1)初診日と(2)障害認定日、(3)保険料納付要件の3つを満たすと受給できます。まず、初診日において、国民年金に加入していることが必要です。これは、20歳から60歳の日本に居住する人なら必ずそうなります。次に、障害認定日(初診日から1年6か月が経過した日)において、傷病が障害等級に該当することです。最後の保険料納付要件ですが、初診日において、それまでの保険料納付が義務付けられている期間(すなわち20歳から初診日までの月数)のうち、3分の2以上が保険料納付済みもしくは、免除されていたことが必要です。保険料納付要件については現在のところ特例措置があり、初診日より前の1年間に保険料納付漏れがまったくなければ、保険料納付要件を満たすとされています。
事後重症による障害基礎年金
上に述べた原則的な障害基礎年金の場合で、障害認定日(初診日から1年6か月後)においては障害等級に該当しないけれど、その後傷病が重症化して障害等級に該当するに至った場合に受給できる障害基礎年金(国民年金法・第30条の2)です。最初のころは仕事もできていたけれど、その後症状が悪化して働けなくなってしまったケースなどに該当する可能性があります。
基準障害による障害基礎年金
この制度(国民年金法・第30条の3)による障害基礎年金は、一つの傷病による障害だけでは障害等級を満たさない場合であっても、二つ以上の傷病を合併して評価すると、障害等級に該当すると判断されるとき受給できる障害基礎年金です。身体障害を別に抱えていて、その上で精神疾患を発病した場合などに、合併して再評価した結果として受給できる可能性があります。
20歳前の傷病による障害に基づく障害年金
20歳以降にならないと国民年金制度への加入はできないわけなので、それ以前に初診日がある傷病については、原則としては対象とはなりません。 そこで、国民年金法ではこれらの対象者を救済する目的で、これらの人が障害等級に該当するに至ったとき、障害基礎年金を支給すると決めています。この場合、保険料納付要件はありません。
年金額
| 障害等級 | 原則的な年金額 | 物価スライド特別措置による金額 (平成19年度) |
| 1級障害 | 780,900円×改定率×1.25 | 990,100円 |
| 2級障害 | 780,900円×改定率 | 792,100円 |
子による加算額
受給権者がその権利を取得したとき、その人によって生計を維持されていた「子」がいるとき、障害基礎年金の額に以下の加算がされます。なお、「子」とは、18歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にいる(もしくは、20歳未満で障害等級に該当する障害の状態にある)子を指します。なお、子による加算額は、障害等級によらず同額になります。
| 原則的な加算額 | 物価スライド特例措置による額 (平成19年度) | |
| 2人目まで(一人につき) | 224,700円×改定率 | 227,900円 |
| 3人目まで(一人につき) | 74,900円×改定率 | 75,900円 |
年金保険料の法定免除制度
障害基礎年金の受給者は、国民年金の保険料を法律(国民年金法・第89条)の規定により、申請することで免除されます(法定免除)。ただし、この免除を受けることによって、将来受け取れる老齢基礎年金が減額されることになります。免除を受けていた期間は年金保険料が3分の1納付されたものとして計算されるので、その期間については3分の1に減額されると考えておいて正しいです。ちなみに、この3分の1という数字は、国民年金制度における法律で定める国庫負担率に相当します。平成21年4月より、国庫負担率は2分の1に引き上げられますので、その後の免除期間については2分の1の減額となり、若干条件が以前よりは良くなります。