病識と治療を持続させるための医療・当事者のライン
次にどんな主治医と付き合うかという点を考えてみましょう。もちろん医師として優秀であること、つまり適切な診断と処方、心理教育が施せること、入院の必要性や時期判断の的確さなどが一番だと思います。長いおつき合いになる可能性も高いので相性も大切でしょう。
心理教育(ヤダリンの精神科Q&Aより)
http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/a99.htm
それから後は、当事者の要望に個人差の多いところです。診療時間をどれだけ取って欲しいか、緊急の場合の対処の体制(電話診療や薬の郵送)はあるか、などなど。自宅か働き先からの距離、待ち時間(予約制かどうか)、総合病院か個人病院か、精神療法・カウンセリングの有無、などです。総合病院などは、主治医の転勤の可能性もありますので、その点も考慮にいれましょう。上記のような点を配慮にいれて、自分なりの条件をもとに、いくつかの病院をあたってみること自体は、長期の通院を考えると悪くありません。少し体力や気力がいる作業になると思いますので、あまり状態の悪い時には避けた方がいいかも知れません。もし通院中の主治医の見立てや治療方針に、大きく不安を感じる場合は、セカンドオピニオンを取るなどの方法も視野にいれてみても良いと思います。長期の経過観察が必要な双極性障害の場合、医者との相性も大切だと思いますが、主治医選びは、ただ無意味にDr.ショッピングと言われるような転院を重ねることは、治療や経過観察の面でもマイナスで、徒労に終わることにもつながりお勧めできません。信頼できそうな主治医に自分の躁鬱の波を、長い目で経過を追って理解してもらうことで、自分自身の心にもゆとりができると思います。そして主治医との信頼関係も深いものになっていくと思います
繰り返しになりますが。病名を知り病気を認めることは、早ければ早いほどいいです。どんな理由であれ、現実的には「病識」を持たないでいると、適切な薬物での治療を受けることが出来ません。残念ながら後悔先に立たずといった、とても酷い躁病エピソードを増やしてしまう結果を招きがちとなります。また苦しく辛い鬱病エピソードを長期化させてしまう確率を高めてしまうでしょう。どちらにしても生活に支障が生まれがちです。「病識」をもつことは他ならぬ自分のためなのです。躁鬱の大きな波をできるだけやわらげるには、きちんと医療のラインに乗ることが不可欠です。病気に向き合うことが日々の生活をできるだけ良好な状態に保つためにも大切です。個人的、社会的な損害を抑えこむことは、「無治療」や「病識を持たない治療」では不可能でしょう。
次は、「躁病をリアルな幸せと思い込んでしまった発病時の錯覚」です。