sukiya: 2007年12月アーカイブ
精神障害者保健福祉手帳(通称:障害者手帳)
精神障害者保健福祉手帳とは?
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)第45条の規定によって定められた障害者福祉制度の一つです。精神疾患(統合失調症、躁うつ病、てんかんなど)を抱える者に対する制度です。障害の重さによって、1級(一番重い)から3級までの3等級あります。なお、この等級は身体障害者手帳における障害等級とは符合しませんのでご注意ください。
1級の精神障害者保健福祉手帳を持っていると特別障害者として認定されます。税制上もっとも有利な優遇措置を受けることができます。
受けられる優遇措置
まず、税制上の優遇措置を受けることができます。所得から一定額の控除を受けられる障害者控除は最も効果的に節税できる制度で、所得税につき(1級:40万円、2,3級:27万円)の控除を、住民税につき(1級:30万円、2,3級:26万円) の控除を受けることができます。
次に、銀行預金や公社債、一部の投資信託などの利子に対する税金(通常は20%の税率)を免除される制度があります。「障害者等の少額預金の利子所得等の非課税制度(通称:マル優)」と言います。預貯金・公社債(350万円まで利子非課税)と国債(350万円まで利金非課税)の二つの枠があります。
さらに、相続税に対する減免措置が受けられます。課税対象額から「70歳に達するまでの年数×12万円」(1級)・「70歳に達するまでの年数×6万円」(2,3級)だけ控除されます。
1級の場合では、さらに自動車税に対する減免措置を受けることができます。対象者の通院、通所、通学、通勤のために使用する自動車または軽自動車についての自動車税、軽自動車税、自動車取得税が減免(全額免除)されます。
このほか、公的施設やその駐車場などの利用料金が減免される制度があります。利用される際には確認してみると良いと思います。なお、全国的に広まっている制度としては、多くの映画館における利用料金の障害者割引制度(1,800円→1,000円)があります。
障害者控除とは?
所得税と住民税に対する所得控除の一つ。精神障害者保健福祉手帳を持っているとこの控除(控除額は以下の表の通り)を受けられます。本人もしくは扶養者の所得からこの控除を受けられます。したがって、本人に所得がない場合であっても、扶養者の所得から控除して税金を節約できます。なお、手帳を持っているだけでは自動的に障害者控除が適用される仕組みにはなっていません。年末調整または確定申告が必要です。
| 1級 | 2級と3級 | |
| 所得税 | 40万円 | 27万円 |
| 住民税 | 30万円 | 26万円 |
障害者控除を受けるには?
確定申告か年末調整のいずれかで受けられます(何もしないと障害者手帳を持っていてもこの控除を受けることはできません)。年末調整で障害者控除を受けるには、その所得者の職場に障害者手帳の写しを渡す必要があるため、ためらわれるケースもあります。その場合は、源泉徴収票と障害者手帳を持参の上で税務署に確定申告に行くと良いでしょう。
勤務先に障害のことを知られる可能性は?
障害者控除の有無については勤務先に知られる可能性があります。 年末調整ではなく確定申告で障害者控除の適用を受けた場合であっても、住民税に関するデータ(通称:住民税の特別徴収票)が職場に届くため(本来はこの情報は本人しか見てはいけないことになっていますが)、原理的には本人もしくは扶養者に障害者がいることを知られる可能性があります。 ただし、障害の内容(たとえば、障害者手帳の種類)などについては記載されません。身体障害者手帳、療育手帳(知的障害者の障害者手帳です)の場合とまったく同等の記載であるため、障害の内容については知られる可能性はありません。あくまで、障害の有無と特別障害者(1級か2・3級)かどうかの区別だけが知られうる可能性のある情報になります。
医療費控除を受けるための要件
自分自身および生計を一にする配偶者、親族などのために支払った医療費が1年間に10万円を超えることが必要です。
この計算には、本人だけでなく扶養する親族や配偶者のために支払った医療費も合計することができます。 1年間とはその年の1月1日から12月31日までの期間で計算します。 医療費とは、いわゆる医療機関にかかったときの費用(自己負担額)以外にも、風邪薬などの市販の医薬品のための費用も含めることができます。 また、医療費の内訳に、通院先までの交通費を含めることができます。ただし、公共交通機関による交通費に限られます。自家用車による交通費は認められません。
医療費控除の効果
(1年間に支払った医療費の合計-10万円)を所得税と住民税の計算において、所得から控除することができます。したがって、1年間に支払った医療費の合計が10万円を超えないと所得控除を受けることはできません。
受給資格
障害年金は、公的な年金保険制度をベースにしているので、誰でも受給できる資格があるわけではありません。
最も基本的な受給資格要件は次の通りです。
障害(精神疾患)について医師にかかった初診日を基準として、20才からその初診日の間(厳密には初診日が属する月の前々月までの期間)について、年金に加入すべき期間のうち、その3分の2以上の期間について国民年金(もしくは厚生年金、共済年金)の年金保険料を納付していた(もしくは免除されていた)ことが必要です。
たとえば、32才の時点で初診日がある人については、32-20=12年間の納付すべき期間がありますが、この3分の2の期間(=8年間)について年金保険料の納付があるか、もしくは免除されている期間であることが必要です。
この受給資格要件には以下の例外規定があります。
初診日が平成28年4月1日より前にある場合(本原稿執筆時点では、誰でも必ずそうなります)、初診日が属する月の前々月までの1年間に保険料滞納期間がなければ保険料納付要件を満たすことと定められています。これは、時限付きの救済策として設けられたものです。
20才より前に初診日がある場合、特例措置があります。 初診日において20才未満であって、20才の時点で障害等級1級または2級に該当するか、その後障害の程度が進み、障害等級が1級または2級に該当することになった場合、年金を支給することになっています。
障害年金の等級
障害年金は、その障害の程度に応じて障害等級(1級~3級)が認定されます。公式には以下に示す基準が目安となっています。申請書類(診断書や申立書など)に記述された内容を元に障害の程度を審査(裁定)されて、最終的な障害等級が決まります。
- 1級・・・「身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状が、日常生活の用を弁ずることを不可能ならしめる程度」
- 2級・・・「身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状が、日常生活が著しい制限を加えることを必要とする程度」
- 3級・・・「傷病の治ゆしたものにあっては、労働に著しい制限を受けるか又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度」、または、「傷病が治ゆしないものにあっては、労働が制限を受けるかまたは労働に制限を加えることを必要とする程度」
障害年金の種類
年金は3階建ての制度になっています。1階の部分に国民年金(または基礎年金とも呼ばれます)があり、その上の2階部分に厚生年金と共済年金が乗っているイメージです。厚生年金はほとんどのサラリーマンが加入することになっている年金制度であり、共済年金は公務員(国・地方)と一部の独立行政法人職員、私学教員(私学共済)が加入する年金制度です。なお、厚生年金と共済年金に同時に加入することはありえません。3階の部分には、私的年金である企業年金や共済年金の職域加算などが含まれます。
初診日の時点で厚生年金にも共済年金にも加入していない場合、この年金のみを受給できます。
初診日の時点で厚生年金に加入していた場合、障害基礎年金に加えて障害厚生年金を受給できます。
障害共済年金
初診日の時点で共済組合に加入していた場合、障害基礎年金に加えて障害共済年金を受給できます。
所得制限
障害年金の受給には基本的に所得制限はありません。しかし、初診日が20才より前の傷病について障害年金を受給する場合は、例外措置として所得制限があります。社会保険庁が提示しているケースでは、2人世帯で給与所得の場合、398万4千円を超えると半額支給停止となり、500万1千円を超えると全額支給停止となります。
傷病手当金との同時給付について
原則として、同一の傷病を事由とした障害厚生年金や障害手当金、障害共済年金は傷病手当金とは同時に給付されることはありません。ただし、傷病手当金の支給額が障害厚生年金などの支給額を上回る場合、その差額分が支給されます。
自立支援医療とは?
精神保健福祉法第32条(旧)を引き継いだ精神障害福祉制度です。
この制度の最も重要な効果は、精神疾患の通院医療費に対して、通常の3割負担(国保もしくは健康保険)よりも低い1割負担になる点です。医療費を3分の1に節減できる重要な制度です。
自立支援医療を受けるには?
申請の窓口は、住民票がある市町村役所(障害福祉課)です。 申請には、申請書と医師の診断書が必要です。どちらも市町村役所に書類は備えてあります。 有効期間は1年間です。1年ごとに更新申請の手続きが必要です。 精神障害者保健福祉手帳を一つの申請書で同時に申請することもできます。
マル優とは?
正式名称は、「障害者等の少額預金の利子所得等の非課税制度」と言います。 障害者手帳(身体障害者と知的障害者、精神障害者)を持っている人に適用があります。 また、遺族年金を受給する妻に対しても適用があります。
以下の3つの金融商品の利子・利金について、利子課税(通常は20%の源泉分離課税)が免除されます。
- 銀行や信用金庫などの預金(元金350万円まで)
- 公社債、公社債投資信託(元金350万円まで)
- 元本保証された投資商品ではありませんが、MMF(Money Management Fund)も公社債投資信託の一種でマル優の手続きも簡単で、同じ預け入れ期間の定期預金よりも高い利回りを得ることができます。MMFは証券会社(ネット証券を含む)で買うことができます。
なお、手帳を持っているだけでは適用を受けることはできません。申請が必要です。
金融商品の分類によって、以下のマル優とマル特に分けられます。
| マル優 | 銀行などの預金について元金350万円まで利子非課税 |
| マル特 | 公社債(国債・地方債・社債)の元金350万円まで利子非課税 |
(郵便貯金の非課税制度については、郵政公社の民営化に伴い、マル優は廃止されるとのことです。今後は銀行預金と同じ枠の中でのみマル優の適用を受けることができます。)
マル優の適用を受けるためには?
申し込み先は銀行や信用金庫、ゆうちょ銀行、証券会社などの金融機関です。 「非課税貯蓄申込書」を障害者手帳の写しとともに提出して申し込みます。 すべての金融機関で取り扱いがあるわけではありませんので、必ずマル優の適用があるかについて金融機関に問い合わせしましょう。
躁と鬱の波を繰り返す双極性障害(いわゆる躁うつ病)。大小の波が打ち寄せる、躁鬱の波打ち際でわたしたちは生きています。時にはとんでもない躁や鬱の津波におそわれて、絶望的な気分になったり、思わぬ修羅場迎え希望を失うこともあるかと思います。
知らず知らずのうちに、手痛い思いを沢山してきて、強烈に思ったことがあります。もっと早くから双極性障害の特性をきちんと知って、自分から病気と向かい合えば良かったということです。自分なりに取り組んでいたらという地団駄を踏む気持ちなのです。そうすれば自分の生き方、例えば個人的な生活や社会との関りもずいぶん変わっていたのではないかと思うからです。
けれども過ぎたことをいたずらに悔やむより、いまの自分を大切にして病気に取り組むことが先決です。それが新たな後悔を生まない、ただひとつの方法であると思います。
病気と向き合うのは早ければ早いほどいい、その方が治療のスタートや取り組みも早まります。また双極性障害の知識や理解(この場合大まかなもので構いませんが)のなさに寄る、根拠に薄く意味のない自己嫌悪からも開放されることでしょう。そして何と言っても、自分や周りの人への被害がかなり押さえられるはず。そんな思いから、ひとりの双極性障害I型の人間として、体験を通じて感じてきたことを、ごく個人的な経験からまとめてみました。病識を持つことの大切さと自己コントロールについてです。
次は、「わたしの間抜けな始まり」です。
病気への理解ですが、双極性障害(いわゆる躁うつ病)は、発症の仕方によっては比較的早期に診断名がつく場合もありますが、診断名がはっきりするまで大変時間がかかる症例もあります。
例えばうつ病相発症の場合、明らかな躁病相が出るまで不確定な場合があります。うつ病発症でさらに双極性II型障害の場合などは、軽躁の症状を本人が自覚するのがなかなか困難な場合もあります。そうすると主治医が、患者が軽躁を伴うことを認知するまで、必然的にかなり時間がかかるケースが出て来ます。もちろん症状の現れ方によっては、病名がはっきりするのが遅れるのが不可抗力の場合もありますが。でも単に本人の病気への理解の不足により、病気への対応が後手に回るケースもあると思います。
例えばわたしの場合です。ひどい鬱状態での初診でしたが、鬱を引き起こすような躁状態が、その直前にありました。家族はわたしの普段とは違う数々の言動から躁うつ病ではないかと感じ、鬱になる前の躁状態の話を初診時に主治医に分かっていた限り話したそうです。そういう経緯もあり最初からわたしには躁うつ病の診断が出ていました。でも本人は鬱の苦しさでいっぱいで、主治医に病名を告げられたかも記憶にないし、薬もただ処方されたものを内容も知らず機械的に飲んで床に伏せていました。
そういう経緯ですので、発症時には自分自身は初診時には、双極性障害だという実感が持てなかったと記憶しています。苦しい鬱状態での初診だったせいもあるでしょう。鬱になる前の1ヵ月以上に渡る躁病の症状に関しては、仕事や交友関係などでかなり大げさな言動をしてしまったので、強く後悔はしました。でも自分らしくない行動が病気によるものという意識は当事はまったくありませんでした。鬱については世間並みに知っていて、その自覚は否応なく持ちました。それだってあまり認めたくない気分でしたが。主治医には自責の念が強いし辛いし最悪の体調と訴えるものの、躁という症状に関しては本当に無知でした。考えもおよばなかった感じでした。ちょっと頭が冴えて気が大きくなり、素晴らしい閃きから行き過ぎた失態をしたという受けとめ方だったように思います。だから初診時にそれらの出来事を主治医に話した覚えもありません。周囲の人から見ると相当わたしらしくない奇異な言動があったにも関らずです。
はやく元気になりたい、いつもの自分に戻りたいとしか思えませんでした。そしてようやく鬱から抜け出し、日常生活に徐々に適応していく過程で、躁病相の「自分のこととは思えない言動」のことは忘れてしまいたいことだらけ。もちろん症状という意識はありませんでした。何とかその記憶を遥か彼方に追いやろうとしていました。そのうちに、何故あんなことをしたのだろうと、時々ぼんやりと不可思議な気持ちで思い出す程度になりました。鬱病相は仕事などのストレスで疲労したからだと納得させることができても、躁病相の自分は不可解過ぎてどうにも説明がつかないからです。自覚的には気分の高揚感、多幸感などもあり病気というマイナスなイメージではありませんでした。今となるとそこが双極性障害たる所以でもあるのですが、残念なことに躁病の症状への知識もありませんでした。
ですから躁病相の大げさな言動を自分の中で打ち消すことで、自分のそれまでの枠組み(発病前)を何とか維持しようと、必死で自己防衛をしていたのではないかと思います。
そんな訳で結果的に見ると、主治医も家族も病気を認知しているのに、本人の自覚がいちばん遅れたのでした。初診時の処方も、相当後になって、冷静な時に「本当に初診から躁うつ病だったのか?」と、カルテを一応確認してもらいました。紛れもなく気分安定薬が処方されていました。やっぱり・・・。覚えていないのですが、家族は当初わたしに躁うつ病だと説明をしてくれたそうです。でもようやく鬱が回復してきた脳には何も入って来ませんでした。いえ拒否反応があったのかも知れません。今になってみると穴があったら思いっきり飛び込みたい気分です。自分自身の双極性障害に対する無知と無自覚さが、その後の大きな躁鬱のカウンターパンチを無防備にくらう要因となりました。その時こそがわたしがようやく双極性障害の扉を自ら開いた時なのだと思います。
次は、「混乱期を超えて」です。
最初からこんなことを言うのもなんですが、自己コントロールと言っても、双極性障害(いわゆる躁うつ病)の場合はどうも一筋縄にはいきません。躁病相や鬱病相で、テンションが上がったり下がったりしてきますよね。その度合いがひどくなると、脳が自覚的な予測を超えて、正常な機能をしなくなる訳です。ですから当事者自身が理性的かつ客観的に、病状を把握したり判断するのに、どうしても無理が生じる、つまり目が曇るという状態になるのです。
この側面は双極性障害の持つ大きな特徴で、「病状が病識が超える」ことの一面と言えるでしょう。この事実を押さえておくことはとても重要なポイントです。自分の症状を把握できなければ、病相が悪化した時に、自己コントロールしていくことが、かなり困難になる可能性を免れませんからね。それでもなお、自己コントロールの必要性を、経験的に感じるのは、コントロールをしていても引き起こされるだろう損失と、まったくコントロールなしで無防備に引き起こされる損失とを比べると、天と地ほどの開きがある、と言っても大げさではないということです。また、その境界線を越えないようにできるだけ先手を打つ必要があります。
自己コントロールによって、病状の把握やメンタルな面での安定に結びつくと考えます。生活習慣の把握と部分的な改善も安定の亜助けになります。個人差はありますが対外的な言動を自覚することができ、社会的信用を守ることや再構築にもつながると思います。
ただ自己判断に限界(病識を失う)もあるので、病気に理解のある信頼できる人、同居する家族や近親者の意見に耳を傾ける姿勢や態度も大切です。また第三者の判断も自分のバランスを見るのに役立つでしょう。自分とそれを取り巻く世界を少し俯瞰的に眺めてみたり、近寄って感じてみたり、いろんな角度から確認しながら、症状を自覚していくことは、地道なことですが、とても役に立ちます。ともかく積み重ねがものを言うのです。柔軟性を持った対応で病気に臨みましょう。
次は「誰のためでない、ただ自分にために」です
またまたきついことを書きますが、どうもにもならないこともあるものでして・・・。
双極性障害(いわゆる躁うつ病)は現在では完治がむずかしい、あるいは無理だろうと言われています。薬物療法に関しても、気分の波を穏やかにする気分安定薬による維持療法を除いては、躁鬱の増悪に関しての対処療法です。今のところは完治への薬物療法は確立されていません。また病状は個人差があるだけでなく、日照時間など季節との関連性やライフイベントなどの外因と関連性がある場合もあります。ただ自分を例にとってみると、外因とは恐らく無関係に、躁鬱の流れや症状が時として想定外に変化していく経緯を経験しています。
例えば、躁から鬱、あるいは鬱から躁、と比較的順番に病相が現れていた時期もありますが、その後、軽躁から比較的穏やかな時期を経てまた軽躁を繰り返すなど、とにかく今後の予測が難しいというのが実感です。あるいは予測を立てにくいという予測を持っているというのが、正確な表現になるかも知れません。そんな不安定な環境の中で、うまくこの病気と共生していくにはどうしたらいいのでしょうか。それは医療だけに頼ることなく、自己コントロールという発想を持つことだとわたしは思います。そして少しずつでも実践していくことが、どんなに大切なことで、また我が身を助けることになるか。
ここが肝心ですが、躁病相の自分も、鬱病相の自分も、自分に変わりはありません。だから症状が辛いからといって、病気の自分をもし嫌うなら、自分が自分自身を否定してしまうことにつながってしまいます。それは実はとても苦しいことだと思います。双極性障害の自分も自分であることは変わりはありません。自分を嫌うことは生命力や存在感を希薄にしてしまうことにつながります。
病気如何にかかわらず、自分を否定すると、人のエネルギーはとても低下してしまうのではないでしょうか。何故なら人はどこかで存在の理由を考えてしまうるところがあるからです。私見ですが、本当は生きていることに理由なんて何にもいらない。生きているだけで、それだけで、生物には存在の価値があるとわたし自身は思っています。そして、どんな自分だって、かけがえのない大切な自分自身、唯一の存在であること、これは紛れもない事実です。
次は「誰も自分からは逃れられない」です。
双極性障害(いわゆる躁うつ病)に伴う対外的な失敗があった場合、原因は病気だったとしても、やってしまったのはあなた。それはどうにもならない現実です。その失敗の責任は、もちろん当事者本人にあることも。それは後悔という心苦しさを伴って、ブーメランのように自分に返ってきてしまいます。そのツケの現実(対外)的な処理から自分は逃げられません。また心理面での傷跡を取り除くのも、容易でない場合もあります。そのことも忘れないで。
特に躁病相の時は言動は慎重に、躁鬱ともに病状が重度な時は大きな決定をしないように注意しましょう。
双極性障害治療の基本は医療(薬物療法)にあります。「医師の診察に基づく適切な診断」及び「気分安定薬による維持療法」が第一の選択肢な訳です。そして「病相に応じた薬物療法」が治療を支えていきます。
医者と患者の関係は言い換えると薬物療法と自己コントロールの関係とも言えるほどです。特に自己観察は医療と深い関連性がありますが、そのことは別の機会に触れたいと思います。
双極性障害でひどい増悪が避けられない時は、症状が自己コントロールの範囲を軽々と越えていきます。必要性に応じて入院治療となる場合もあるでしょう。まずは、そこまで気分が上がったり下がったりしないように、早急に受診して処方を変更してもらう、日常生活の活動量を調整するなど、可能な限り前もって手を打つことが、一つのポイントであると考えます。そしていざとなったら、自分の判断(措置入院や医療保護入院でなく)で、入院できるようになりたいものです。誰かに無理やり入院させられるというのは、自分がひどく傷ついたり、打撃を受けるだけなく、大切な人間関係を修復できないほど崩す可能性もあるので。
次は「竜巻、のち入院、そして大落雷」です。
当時を思い起すと、躁病相に傾きはじめた頃は病識がありました。薬もそれなりに変更して、服薬をしていました。その後どんどん気分が上がってしまい、抗精神病薬も睡眠薬も増量しました。しかしその後、病識を部分的に失って、途中から断薬してしまいました。家族の協力で、また渋々服薬を再開するも沈静せず、症状は増悪の一路を辿ります。そしてろくに薬を飲まなくなり、食欲も体重も減退の一途。そのくせ、ほとんど寝なくても平気になり、活動量は極度に増えました。その後まもなく、まったく病識を失ってしまいました。
そして不本意の入院。退院する頃には「躁病の症状がきれいに出揃いましたね」と、主治医から穏やかにコメントをもらい絶句しました(ため息)・・・。後日文献に目を通して、何とも言えない思いがこみ上げて来たのを覚えています。確かに症状に強弱はあったものの、躁病状態を表わす項目を、ほぼ網羅していたのでした。あまり信じたくない通達書を淡々と渡されてしまったような、奇妙な気分になった記憶があります。この時はさすがにちょっと打ちのめされました。
入院前と入院中の数々の躁病エピソードは、もうすご過ぎて!!!ものです。ここでは全て省略しておきましょう。つまり誰の目から見てもはっきりと入院が必要な症状が出ていたのです。それに反比例するように、自分は家族や近親者の指摘をよそに、自分では正常感を持って堂々とさえしていました。なかには覚えていない、後日人から伝え知ったエピソードもあります。ああ。覚えていないとんでもないことまでしているなんて、これが一番自分には恐ろしいことでした。またフラット(平常)では、どう考えても根拠が見出せない突拍子もない言動や発想の数々も・・・。
そんなこともあり、今はもしもの時のために「入院セット」一式を用意しています。どうしても病識を失う可能性を考えてしまうからなのです。
自分の脳のある種の欠落を自覚して、自分を全面的に信じられなくなったリアルな体験でした。躁病相後、ひどい鬱病相に転落したこともあり、激しい自責、極度の不安感、無気力感、自己不信感などは耐え難いものでした。
ただ矛盾するようですが、自分の体調が落ち着きを取り戻す頃には、病気の自分を受け入れることが徐々に出来はじめました。それは半年以上恐らく1年ほども過ぎてからだったと思います。そして地に堕ちた自分への信頼感も、少しずつですが回復していったのです。つまり病気との向き合い方をもう一度自分なりに模索し始めたのです。人間とは摩訶不思議な生き物です。
よく言われる激躁的な体験を通じて、新たな意味で知らざるを得なかった、認めざるを得なかった自分がいます。時と場合により御せない自分がある、それを含めた全体像が自分自身なのだ、というのがこの病気なのではないでしょうか。そのことを事実の前に受け入れる他なかったのです。双極性障害と向き合う過程の中で、常に自分の症状を理解しようとすることの大切さをつくづく思い知ったのです。またその姿勢を強弱があったとしても何とか持ち続けることの重要性も実感しました。
保護室にもお世話になった強烈な入院経験を経て、双極性障害が自分と切り離せるであろう一種の「病気」つまり「別物」に過ぎないという淡い期待や、僅かながらの願望から「躁鬱なわたし、これが取り合えず自分自身といいうことなのね」という感覚で捉えるようになってきたとようです。何度もひどい波風の瀬戸際に立ったことがあるくせに、ああ何て長い道のりだったことか。
次は、「どんな鏡に自分を映していますか」です。
躁病相での大小の失敗や、鬱病相での堂々巡りのマイナス思考など、ついつい自分の中にひとりで抱え込みがちです。でも「悩んでもしょうがないことは悩まない」と、スパッと割り切ることも病状安定のために肝心です。
確かに割り切りはむずかしい面もあります。「そんなことできれば苦労しないよ!」という声が湧きあがりそうですが・・・。でもくよくよと悩むこと自体、そして自分を苦しめる感情でさえ、ほとんど病気が引き起こした症状の一部。自分の性格や意志による自発的なものではない面が大きい訳です。だから自分なんか最低だよという一種の囚われに、がんじがらめになったりするのは、時として行き過ぎだと思うのです。そしてその結果として、自分を追い詰めたりすれば、辛いのはやっぱり自分自身ですし堂々巡りから抜け出せなくなっていきます。
とにかく症状を悩みとして捉えても苦しみは増すばかりで、それは解決につながらないとわたしは思っています。ただ悶々としていても、精神衛生上良くないのは、これまで痛いほど感じていますから。症状は症状として冷静に捉えることの方が苦しみを軽減してくれるし、今後の自分と病気とのつき合いを良好にしてくれると感じています。
経験上、軽躁状態での自分の行動の異変の中には、苦い後悔とは裏腹に友人や仕事上でのつき合いのある人の目には、さほど変に映っていないことがありました。対人関係でちょっとテンションがあがり、ノリがよく成りすぎる。少しお酒に酔って饒舌な感じになっている時と似ているのかも知れません。多少怒りっぽくなったり議論好きになったり。その程度なら一般的には許容範囲の場合があります。つまり他人には自分が思っていたほど、そんなに気にしていなかったと拍子抜けしたこともありました。もちろん躁病相を症状として自覚するのは大切ですが、必要以上に落ち込んだり、そのことで人間関係を狭めることはないと思います。その判断はフラット(平常時)に戻ってから。相手と個々にコミュニケーションを取りながら様子を見たり関係性を取り戻したりできるといいですね。
意外と自意識過剰だったと逆に胸を撫で下ろす時もあります。ひどい失敗も多々あるわたしはこの面では臆病でした。ただ当事者自身は軽躁病相の自分を振り返る時、繊細にそして過剰に反応してしまうサガがあるのだな、とつくづくこの病気を難儀に思う時があります。個人差もあると思いますけれど。
また双極性障害のように長い期間がかかる病気では、気をつけていても起こってしまった逸脱行為やそのスレスレな言動などの失敗は、反省を今後に生かせば良い、というくらいでないとやっていけません。割り切りあるいは開き直りの気持ちを持って、進んでいってもいいのではないかと、個人的には思っています。
誰しも過去を変えることはできない訳です。ただ過去への捉え方を見直すことはできます。もしかしたら歪んだ鏡や割れた鏡で、自分や自分を取り巻く世界を見ているかも知れません。それならその鏡は潔く捨ててしまいましょう。過去を断ち切るにしても、現在につなげていくにしても、できるだけ前向きにできるといいですね。無理せず徐々に切り替えていけばいいと思います。自分なりのスピードがあると思うので。前向きが無理でも、後ろ向きはなるべく避ける。エネルギーの無駄使い、消耗は体調にも堪えますので。
それでも解決不能な、どうしようもない傷(トラウマ)は、パンドラの箱にでも入れ半永久的に封印することもひとつの手です。もちろん、いつかなにかの時に、開けてみるのは本人の自由ですが、体調の良い時にそーっと少しずつ様子を見ながら開けないと、自爆してしまいますのでご注意を。
次は「いつだってどんな自分だってOK」です。
思いっきり落ち込んだつまり鬱病相の時に、どん底でじっーと耐えてみる、それはそれで、悪くないと思います。いえ大正解の場合も多いですよね。外部との接触は最低限にして。引きこもって布団虫になって、生活能力もどん底。ようやく息をしているような「下がり止まり」で耐えていれば、後は自然にまかせて、ゆっくりとですが復活できると思います。そういうやり方の向き不向きは、個性や性格や環境などにも寄ります。そんな時、こんなふうな自分に罪悪感を持たない思い切りも大切だと思うのです。もちろん大きく体調が変化する時は、主治医との相談やお薬の調整は大前提としてですが。まずは現状の自分を受け入れることで、ひとつ荷下ろしをしてはどうでしょう。長引く鬱がいばらの道でも、座布団のひとつでも敷いてみようと言うことです。
鬱病相での症状としての自責感は、岩のように固いです。これもひとつの症状ですが、無気力などうしようもない自分を、何度も状況を打破したいと焦りジタバタして、結果的に自分を痛めつけてきました。でも重い鬱病相を何度か繰り返すうちに、「また来たな」と思えるようになり、自責感にブレーキを少しずつかけられるようになりました。そうじゃないと辛過ぎますからね。今でも負の回路にハマることがあるけど、「症状出てきたぞ」と自覚できるようになりました。諦めてしまう、という受け入れをすると思いのほか体の硬直感がとれてラクになれるものです。
鬱な時、自分にとっての当たり前の生活ができなくなります。でも「できないものはできない」。これは事実です。そういう場合でも、とにかく自分を否定しないこと、「今はこれでいいんだ」という受け入れはすごく大切です。そんな自分を堕落しているなんて思う必要は全くなし。あるいは、しばしの堕落も蜜の味などと発想の転換をしてみてはどうでしょうか。つまるところ、いつの自分だって「それなりに良し」なんだと、わたし自身は暗示も含めて思っているところがあります。「焦らずに、焦らずに」を呪文のように唱えながら。
そして本当はとても辛いのに誰にも「よしよし」さえしてもらいたくない、人を受け入れられないひどい鬱に陥ることがあります。そんな時でも自分で自分を「なでなで」してあげたい。ウルトラ最低にダメな自分だって、双極性障害にまつわる、いろんなことに耐えてきた愛おしい自分です。だから自暴自棄になることはなるべく避けましょう。最悪の中にも何かしらいいことを見つけるというのはひとつの訓練だと思います。あくまでも個人的な意見ですけれども。
鬱病相の症状なのに、何故自分のせいにしないといけないのか? 外科的な疾患の場合だったら、怪我して痛ければ、痛いだけ。自分のせいで痛い、苦しいという心理的な問題や性格云々で症状自体を自責するでしょうか。内科の疾患にも言えること。それはこの病気でも本当は同じことだと考えられます。双極性障害は、暴飲暴食などに寄る生活習慣病になってヤバイと反省や改善を意識するのとはちょっと訳が違うと思います。例えば鬱の症状自体が自分の心理的なせいだとか、性格が問題とか、さぼっているとか、そういう責め方は恐らく見当違いなのです。
一方ひどい躁病相の症状は、自分の心理面であまり疑いを持つことがないと言うか把握がむずかしいですよね。症状としては内外的に困ったことではありますが、鬱病相のような心理的な苦しみや人間性の否定などを伴わないでしょう。ですから病気の自覚的な痛みや苦しさは鬱病相特有のものでしょう。自分を根拠なく責め始めたたら、それは魔の声だと思って。躁鬱の症状であり自分のせいではない、という基本にできるだけ立ち帰りましょう。だってこの病気はこころの病気というよりは脳の病気なのですから・・・
これで第一部は終わりです。続いて、第二部は、「やっぱり精神科に行ってみよう」です。
公社債投資信託とは?
公社債(国債と地方債、金融債、電力債など一部社債)を組み入れる投資信託の一種です。元本が保証された金融商品ではありませんが、投資信託の中では最も安定的に収益を得ることができる金融商品の一つです。MMF、MRF、中期国債ファンドなどは公社債投資信託の一種です。
この種類に属する投資信託はその収益(=分配金)への課税に対して、マル優の適用を受けることができます。
傷病手当金とは?
サラリーマンなどが加入する健康保険の制度の一つ。傷病により休業して、その傷病の療養中に給与の支払いを受けられないときに、加入する健康保険組合から概ね給与額の3分の2相当(※)が支給される制度です。支給開始日から起算して最長で1年6ヶ月まで支給されます。
(※)平成19年4月の健康保険法改正で、従前では6割相当だったのですが、これが3分の2相当まで引き上げられました。
傷病手当金の支給金額
健康保険法(第99条)では、1日あたり標準報酬日額の3分の2を支給することとされていますが、健康保険組合(もしくは共済組合)によっては、これよりも高い傷病手当金を支給するところもあります。現在のところ、一部の大企業の健康保険組合と共済組合(公務員等が加入する健康保険)の多くは標準報酬日額の8割を支給しています。
傷病手当金が支給される要件:
以下の3つの要件を満たしていることが必要です。
- 療養のために休業していること。
- 労務不能であること。
医師の診断書によって証明します。 - 継続した3日間の待機期間が完成していること。
連続して3日間の休業が必要です。休んでは仕事へ行き、休んではと繰り返していると、この要件を満たせないことがありますので、ご注意ください。
双極性障害は脳の一部に異常を起こす障害と言えます。症状は当事者の思考の混乱や言動の変調を通して現われる(ここはいわゆる内科的な病気と異なると思います)部分が大変に多いです。それがこの病気の特徴でもあります。だから症状をできるだけ自分で把握してコントロールしていかないと、結果的に自分を心理的に苦しめたり、人間関係を悪化させたり、社会的な信用を損なう可能性がとても大きいのです。それも本人さえ気がつかないうちに行ってしまうこともある訳です。
その恐さを思い知った時(強い症状が出た後)は、「一体どの自分が本来の自分なの?」と、躁鬱の病相と平常時(安定している時の状態)の線引きがどこにあるのか、混乱が生じました。「躁病相でとんでもないことをしたら」とか「鬱病相で無気力で消えてなくなりたくなったら」と考えると、何もかも恐くなってびくびく怯えて暮した時期もありました。病気とうまく向き合えない、どうしようもなく落ち込んで、不安な気持ちの自分を吹っ切らせてくれたのが、「病識と薬物療法と自己コントロール」という3本の柱でした。
自己(セルフ)コントロールという言葉は、精神医学や心理学の領域、または心療・神経内科などの臨床の現場などで、しばしば用いられています。古くは※「うつ・躁回復ワークブック」にも副題に自己コントロールと言う言葉が出て来ます。また当事者の言葉としても、さまざまな意味合いで「うまく自分をコントロールできない」というふうに使われたりていると思います。ところが多少調べてみましたが、この言葉の定義や使われ方に、特に統一感がある訳ではないようですね。
ここでは、当事者が病気を理解したり、少しでも安定させるための、「自覚的で意識的な行為」を大まかに「自己コントロール」と呼ばせてもらいます。
いまは双極性障害と向き合いながらも、なるべく自分らしく生きることを第一に置いています。もちろん、落ち込みだって、ヘマだってするけれど、別にそれらの全てが病気に寄るものではないですしね。自分の状態の変化が病的なものであるかそうでないか、その見分けも大切ですよね。自分を外側からできだけ冷静に見てみることがポイントです。比較気分の穏やかな時に、最近起った事柄が症状かどうかを自己観察してみましょう。また余裕があれば、過去の自分の症状の特徴を振り返ってみましょう。自己コントロールを行っていく上で大切なことだと思います。この病気特有の、遺伝的かつ気質的な部分や、自分の性格なども加味していきながら。
双極性障害とともに生きることは、出口の見えないでこぼこ道を迷いながら歩くようなものかも知れません。そんな道でも、少しでも穏やかに、のびやかに歩んでいきたい、そのために当事者にできる方法のひとつが、自己コントロールだと思います。「病識と薬物療法と自己コントロール」という3本の柱が不安をふっ切らせてくれたと書きましたが、それは双極性障害と共に歩む指針であり、実際は変化する症状と共に試行錯誤しながら実践しいくものです。だから3つの柱が見つかったから、はい解決ということにはなりませんが。特効薬がなくても当事者ができることはあると思います。また双極性障害と一言で言っても症状は個人差が大きい(詳しくは医療コンテンツ参照)です。自分なりのコントロール方法を編み出していくことが大切でしょう。
※「うつ・躁回復ワークブック」メアリー・E.コップランド著作
副題:「自分で記入し、自己コントロールするためのプログラム」「回復のためのライフスタイル」などの自己コントロールに関する記載があります。
次は、「双極性障害と自己コントロールのパラドックス」です。